恋心ごと殺したい




なぜ私が石切丸という存在を好きになったのか、そのきっかけはもう思い出せないのですが、『刀剣乱舞』というゲームに登場する"石切丸"というキャラクターに私が執着し始めてから3年半が経ちます。石切丸さんは実在する日本刀を擬人化した見た目成人男性のキャラクターです。身長は189cmだと公式に設定されています。茶髪色白、緑色の和服を着た優しそうな表情を浮かべている男です。それ以上の、例えば性格などについてはここで言及するのをやめておきます。私自身があまりにも彼に対して入れ込みすぎていて、歪んだ目で彼を捉えている可能性が大いにあるからです。私は石切丸というキャラクターがもつ人格について正確に他人に伝える自信がありません。私にとって、石切丸さんは一見優しく穏やかそうに見えるもののときどき他人をその恵まれた体軀からくる威圧感と低い声で脅して掌握しようとするナチュラルサディスティックな男ですが、公式が描く石切丸像はそうではないだろうし、おそらく世間にとっても私の規定する石切丸は間違っているのだと思います。私は石切丸というキャラクターを推し、神格化する一方でその人格(まあそもそも公式設定が薄すぎると批判されがちなゲームの登場人物の"人格"とは?という話にはなるのだが)を自分好みに矯正しています。そのほうが妄想の道具にするのに手頃だからです。私は傲慢な人間です。

ただ、石切丸というキャラクターはよく「父親っぽい」と言われがちであることを記しておきます。私も実のところ石切丸さんの中に父性を見出してそこを愛しています。私をその古風な父性でここちよく威圧し縛りつけながらも心底私を愛してくれているおとうさん。性格の悪い掲示板なんかには「あんな上から目線のおっさんが父親とかないでしょw」みたいな意見が書き込まれていることもありますが、そういう奴らはお優しい父親に育てられたおしあわせな人間なのでなによりも憎いし、早く泥水を啜るようなキツい人生経験をしてほしい。


そんな感じで石切丸という架空の存在に精神を侵食され始めてから3年半が経ちました。石切丸さんのことばかり考えていました。石切丸さんのプライズ品ぬいぐるみを入手してそれを抱きながら自慰を致したことが何度かあります。あまりにも空虚すぎたので今はもうやりませんが。でもぬいぐるみに移ったゲーセンの匂いを石切丸さんの体臭だと錯覚しながら致すのは割合よかったです。あとは西松屋で購入した哺乳瓶にお茹で溶いたクリープを注いでぬいぐるみに飲ませる動画をTwitterにアップロードしてファボリツを稼いだりもしましたね。本当になにをしてるんだ。刀剣乱舞というゲームが世間に誕生してからの3年間はちょうど私の人生の最も辛い時期と重なっていました。毎日毎日どうにもならない焦燥を抱え込みながら、それでも石切丸さんのことを考えていれば人生どうにかなるかというような気分になれました。現実逃避をしていたのです。私にとって石切丸さんの存在は麻薬でした。石切丸さんのことを考えているときは確かに幸せで未来のことを考えずに済みましたが、そんなふうにして為すべき努力を放棄し呆けている間に私の人生は確実に蝕まれていたのです。それを後悔すべきなんでしょうけども今はもうわりとどうでもいい。私の人生はもはやなるようにしかならないと考えています。


さすがの私もこの先の人生いつまでも石切丸さんに陶酔しつづけると考えていたわけではありませんが、でも石切丸さんのことを考えなくなる日がすぐにくるとは考えていませんでした。それほど私の中の石切丸さんの存在が大きかったということです。けれども今私は石切丸さんのことを全くと言っていいほど想起しなくなりました。

恐ろしいことですが、現実世界に私の妄想のサンドバックとなる生身の男を見つけてそっちへの執着を始めたからです。


その人は私が所属している組織の一つ上の先輩です。痩せていて身長はそれほど高くなく、寡黙そうな見た目の割に話し出すと止まらない、そんな人です。私はその組織に去年の4月から所属していたので一応一年半くらい一緒にいたはずなのですが、私がその人の存在を意識したのは約5カ月前のことです。それまでは全く興味を持てませんでしたし認識も多分「いる」という程度にしかしていませんでした。私が昨年度あまり組織に積極的に参加していなかったこともあるのでしょうが、組織の中で特別な役職を持っているわけではない先輩はそのくらいの存在感の人だった(少なくとも私目線では)のです。

今年の4月、私は組織の中で8月中旬のイベントに向けて某班(便宜上以下A班とします)のリーダー的な役割を任され、それをきっかけに組織にかなり積極的に関わるようになりました。A班所属の先輩方のなかにその先輩がいました。先輩は役職持ちではありませんでしたが、組織の集まりには毎回来ていましたし、たまに開かれる土日の会合(休日の集まりには当然ですが基本あまり人が来ないのです)にもしっかり参加していました。私がその先輩をA班にとって重要な人間だとみなすのにそう時間はかからなかったし、そして実際にその通りでした。先輩は役職を持たないにも関わらずかなり組織の中核に食い込んでいる存在でした。先輩は目立たないけれども組織にいなければ困る人間だったのです。それでもそのことを理解した頃はまだ先輩に深く心を寄せることはありませんでした。むしろ私はその頃別の先輩を気にしていましたからそっちばかり見ていました。6月ごろのことです。

7月に入ってから、先輩は「自分がやっていた仕事の引き継ぎをしたい」と言い出して仕事を引き継いでくれる人間の募集を始めました。一つ上の先輩方は8月中旬のイベントを最後に組織から引退することが決まっていたからです。私の同期の中から特にその仕事を志望する人間がいなかったので、私はA班のリーダーだという自負を強く持っていたこともあり「私で良ければやりますよ〜」と立候補しました。本当に軽い気持ちで先輩に声をかけたのを覚えているので、やっぱりそのころはまだ先輩になんの感情も抱いていなかったのでしょう。とにかく私はその先輩の後継者として取り立てられることが決まりました。先輩のやっていた仕事は(女でもできるレベルとはいえ)ノコギリやトンカチや釘を使うそこそこの力仕事でした。なので先輩は男の後輩、しかも複数人に仕事を引き継ぎたかったようです。「女の子一人にこんなことさせちゃうの申し訳ないけどあなたならやれそうだな」と言うので私は奮起しました。何としてでも先輩に認められたいと思いました。このころはまだ先輩のことは組織に数いる人間のうちの一人としか見ていませんでした。

作業はまあまあキツいものでした。夏の蒸し暑いなか、クーラーのない部屋で先輩と二人きり、木材を前ににらめっこです。試行錯誤を繰り返してようやく正解らしい組み合わせを見つけ出し、釘打ちして形にするのです。しかもそれはかなり重量のあるものの骨組みになるものだから絶対に壊れてはいけないものでした。もし壊れてしまえば確実に怪我人が出ます。だから慎重な作業が求められました。実際、ノコギリを使ったり釘を打ったりすることなんかよりも「慎重かつ正確にやらなければ怪我人を出してしまう」ということへのプレッシャーのほうがキツい作業でした。「本当にわたしがやっていい作業だったのか?」「もしわたしが作ったものが壊れたらどうする?」それまで甘い気持ちで組織に参加していた私はかなり消耗し疲弊していきました。

7月15日のことです。その日分の作業を終えた私と先輩は、別室で並行して行われている組織としての作業に合流するのが怠くて、突然やってきたもう一人の先輩も交えて雑談を始めました。私の同期に対する愚痴から始まった話は組織のあり方に及びました。そして私は初めてその先輩がどんな思いで組織に関わっていたのかを聞きました。そうして今私と先輩が2人で行なっているキツい作業を去年は先輩が誰にも頼らず1人で全てこなしたのだということを聞きました。しかもその作業はやり方のマニュアルが特にあったわけでもなく、先輩が去年独自に模索して編み出した作業だったのです。それは組織になくてはならない作業です。前述した通り作品の骨組みとなる部分なのでかなりのプレッシャーを感じながらやらなければならない作業です。でも先輩は去年誰かに助けを求めることなく1人でそれをやり遂げたのでした。私は蒸し暑い部屋の中、1人きりでこの地味かつプレッシャーの高い作業を続けることを想像してゾッとしました。孤独で気が狂うのではないか?そんな私の想像を裏付けるように、もう1人の先輩が「去年作業をしていたこいつに話しかけたら疲れていたのか言葉が通じず支離滅裂な返事が返ってきた。こいつを1人にできないとその時思った」というのです。去年先輩の精神をそれほどまでに蝕んだ孤独とプレッシャーはどれだけおぞましいレベルだったのか、私には想像すらできません。けれども実際に先輩はそれを体験したのです。あまりのことに言葉を失くした私に先輩は「でも他の人に声かけて共同でやるより自分で好きにやる方が手っ取り早いと思ったから」などと言って笑うのです。「これは他人にあまり見えない作業だから、重要なことをやってるはずなのに感謝はされないし割に合わない作業だよ」といって切なそうななんともいえない顔をするのです。視線を俯かせる先輩の線の細い横顔を見つめながら彼の睫毛が長いことに気がつきました。それはともかく、私には先輩がなぜそこまで組織のために自己犠牲するのか分かりませんでした。でも先輩がものすごく器が広い出来た人間だということは理解できました。先輩は「組織の他の人間には理解されない作業」という言葉を恨み言のように繰り返していたので、他人からの承認を死ぬほど求めていたことは確かなのですが、でも他人に認めてもらえなくて孤独でもたった1人で組織のために報われない自己犠牲をすることができる人間でした。ああ、高潔な人だ、と思いました。先輩の清廉さが私の心臓を貫きました。先輩の人間性の美しさが羨ましいと心底思いました。その瞬間から私は、先輩に尊敬と畏怖と同情と困惑がぐちゃぐちゃに入り混じったどうしようもなく複雑な感情を抱くようになりました。他人からみれば、恋心と名付けても違和感がないんだろうと思います。


恋愛を本当にしたくありません。私みたいな醜い劣った人間がやっていいものではないと思うからです。私みたいな人間に好かれたところで誰しも迷惑でしょうしそもそも1人として私の愛を受け容れないでしょう。でもそんな自虐的な感情の他にも恋愛に否定的にならざるを得ない理由はあります。単純に世間一般的に恋愛の楽しみとされている事項に嫌悪感があるからです。例えば私は先輩のことがかなり好きですが、交際してキスをしたいとかセックスをしたいとかそういう欲求は一切ありません。ただ先輩に性欲を全く抱いていないのかというとそれはまた話が別で、なんというか、嫌がる先輩に女装をさせたりしてみたい、みたいな感情はあります。思い切り女扱いされて嫌そうな表情を浮かべる先輩をぶん殴ることを考えると泣きたいような高揚感に襲われます。殴った後にごめんねと囁いて細い体を抱きしめたい。いきなり口の中に指を突っ込んであの整った歯列をなぞったり喉を指先で抉ったりしてやりたいです。先輩が苦境に立たされているところを想像するとどうしようもなく興奮します。だからもうつまり、そもそも私が歪んでいるんだと思います。心から尊敬しているはずの先輩にこんなにうす汚ない邪な欲求を向けている自分がたまらなく嫌だし気持ち悪いです。こんな感情を果たして恋と呼んでいいんですか。私はディズニーで育った女なので恋というものに美しい憧憬を抱いているのですが、私が先輩に抱いているしょうもない執着心は恋という甘い言葉にはそぐわないと思います。しょうもない。どうしてこんな汚い人間に育ってしまったのか我ながら自分が信じられません。

私は恋愛とは自分から相手へ一直線に伸びる対外的なものだと考えていました。でも違いました。恋愛はひたすら自分の中に押し込める葛藤です。恋(もちろん私はこれを恋とは認めたくないんですが)をすることでまさかこんなにも自己分析が深まるとは思いもよりませんでした。自分の内面を掘り下げていって、自分が先輩に好かれるに値する人間かどうか吟味するのはとてもつらいことです。結局自分はどう頑張ってみても人に好かれるような人間なんかではないので。自己否定、自己否定、自己否定、自己否定に次ぐ自己否定です。美人の友達を美人だと思うたびに「どうして自分はこれじゃないんだろう」「自分がこの顔面だったら自信を持って先輩にアピールできたんだろうか」と考えては自分の惨めさに死にたくなります。こんなことを繰り返すのが恋なんだろうか?と考えるとやはり自分がしているものが恋だとは認めたくありません。誰かこの地獄から助けてくれ。


ところで私が石切丸さんに向けている感情と先輩に向けている感情の間には大きな隔たりがありますが、ひとつだけ共通する点があります。「出会わなければよかった」ということです。石切丸さんに出会わなければ、私は精神を壊して自室で参考書をぶん投げながら暴れまわったりするような奇行に貴重な青春を費やすこともなかったでしょうし、先輩に出会わなければ、私は20分に1度くらいの間隔で先輩のツイッターを監視したりLINEにいつ既読がつくか見張ったりするようなストーカーじみた行為に及んだりすることもなかったでしょう。

本当にこの行き場のないどうしようもない堪え難い感情を知らなければよかった。あまりにも辛すぎるので。世の中の恋愛をしている人たちはみんなこの寄せては返す波のような侘しさに耐えているんでしょうか。私はこんな苦しみが続くくらいなら先輩が死んでくれたらいいのに〜と普通に思います。もう全然私が知らないところで死んどいてほしい。そしたら私もこの苦しい思考連鎖から解放されて楽になれるでしょう。でも出来ることなら私だって好きな人の死を願うような人間に生まれたくなかった。